時代ごとの作曲家に照らし合わせると、J.S.バッハは最晩年の1747年5月7日にフリードリヒ大王の宮廷を訪ねた際、大王より与えられた主題により即興演奏を行なった(のちに『音楽の捧げもの』としてまとめられることになる)。
この時演奏に用いたのはジルバーマン製作のピアノであったが、バッハはピアノには否定的で、この時以外演奏の記録は無く、ピアノ用の曲は1曲も書かなかった。その次男、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハは、チェンバロとピアノを各1台ずつ独奏楽器に指定した二重協奏曲を残している。
また、末子のヨハン・クリスティアン・バッハはロンドンに在住中、演奏旅行で訪ねて来た少年時代のモーツァルトをひざの上に乗せて、二人の連弾でピアノを弾いたという。
またモーツァルト本人は3歳の頃からピアノを弾き始め、6歳でマリア・テレジアの御前で演奏した(その際7歳のマリー・アントワネットに求婚した逸話がある)。この頃がピアノの普及期であったと言える。
ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの頃のピアノはペダルが無くダンパーは膝で操作し、又、ハンマーが木造なので音色はダルシマー、ツィンバロンに似たものとなる。演劇のアマデウスにも使われた。シューベルト、ショパン、リストの頃にはハンマーがフェルト製となる現代ピアノ(モダン・ピアノ)の構造が概ね確立する。
日本には、シーボルトによって初めて輸入された。山口県萩市の熊谷美術館(くまやびじゅつかん)にはシーボルトより贈られた日本最古のピアノが現存する。